対馬の歴史

対馬の歴史年表

 Language : ENGLISH

2009/12/21 開設


西 暦
政 治 ・ 経 済 ・ 社 会
教 育 ・ 文 化 ・ 産 業
国 の 主 な 歴 史
BC6800 越高遺跡(こしたか) 驪N文土器・矢じり・銛    
BC4000 佐賀貝塚(さか) 阿高式土器・貝殻・獣や鯨の骨    
BC3200 志多留貝塚(したる) 鐘ヶ崎式土器    
57     倭の奴国の王、光武帝より印綬
239     卑弥呼、魏に使者送る
二世紀 古里 塔ノ首遺跡 石棺群・銅矛・銅釧(かなくしろ)    
297   魏志倭人伝に対馬名「対馬国」  
四世紀 鶏知(けち) 出居塚古墳 前方後円墳 銅鏃(どうぞく)・管玉    
391     倭軍、朝鮮半島進出
538     仏教伝来
五世紀 鶏知高浜 根曽一号墳 前方後円墳 銅鏃    
593     聖徳太子、摂政となる
七世紀 厳原下原(しもばる) 矢立山古墳 方墳 横穴式石室    
608   遣隋使-小野妹子 対馬碇泊  
632   遣唐使-犬上御田鍬 対馬碇泊  
645     大化改新
663     白村江の戦い
664 対馬に防人をおき、烽火台8カ所設置    
667 大和朝廷は金田城(かねたのき)「朝鮮式山城」を築き防人を置く:国の特別史跡    
673   天道法師生誕 (太陽の子、母神と子神として祀られる・太陽感精神話)  
674 与良(よら)(厳原町国分)を国府と定める 対馬産出銀(日本初)を朝廷に献上  
701   対馬産出金(?)を朝廷に献上 出金 → 祝って「大宝」に改元
710     平城京
720   日本書紀に対馬名  
736   遣新羅使船が 浅茅湾 (浅茅浦・竹敷浦)に停泊し、 多くの歌・万葉集  
741 島分寺(国分寺)を置く    
794     平安京
805   遣唐使船、最澄ら 阿連村 (あれ)に着く 天台宗(最澄)伝わる
837 和多都美神(わたつみのかみ)高御魂神(たかみむすびのかみ)に神位授与(延喜式神名帳)    
894 新羅船「新羅の入寇」45艘 対馬を攻撃(寛平6年9月5日)
 → 文屋善友(ふんやのよしとも)が郡司士を率いて撃退
  遣唐使廃止
1008 豆酘寺(多久頭魂神社(つつでら/たくずだまじんじゃ)に鐘が造られる    
1016     藤原道長 摂政
1019 刀伊船「刀伊の入寇」(女真族) 約50艘 対馬 佐須浦 を攻撃(寛仁3年3月27日) 殺人・放火を繰り返す    
1192     鎌倉幕府
源頼朝 征夷大将軍
1192      
1196 対馬在庁官人 惟宗    
1245 太宰府の命を受け宋氏、豪族阿比留氏を制し対馬統治    
1274 文永の役 元寇・宋助国80余騎、小茂田で玉砕    
1281 弘安の役 元寇、峰町佐賀(高麗史に日本世界村とある)襲来    
1328 国府八幡宮 再建(1316炎上)    
1336     室町幕府
1345 宗経茂、対馬島主となる / 弟の頼次、仁位の代官    
1366 高麗国王、海寇取締と和交求める、後に通交    
1378 対馬守護代から対馬国守護代となる    
1398 宗貞茂、対馬島主となる    
1419 応永の外寇 朝鮮軍 17,000人、浅茅湾に襲来    
1428 朝鮮通信使来島    
1429     琉球王国建国
1467     応仁の乱
1528 金石城(無天守閣)完成    
1543     鉄砲伝来
1560     信長の天下統一開始
1582     本能寺の変
1590     秀吉の天下統一
1591 清水山城築城    
1592 文禄の役、秀吉出兵    
1597 慶長の役 宗義智、出兵    
1598 秀吉没後、対馬藩兵を引き揚げる    
1599 徳川家康より朝鮮国と国交回復命令    
1600 宋義智(小西マリア:妻・キリシタン)、小西行長(西軍)敗戦(行長,斬首、義智,咎めなし:マリアとは離縁)   関ヶ原の戦い
1603     江戸幕府 家康征夷大将軍
1606 国書偽造(徳川秀忠、朝鮮国王)    
1607 第1回朝鮮通信使来島(来日:467名)、義智江戸に同行   朝鮮国と国交回復
1609 慶長条約(朝鮮貿易復活)    
1615 万松院 建立(義智死亡による菩提寺)、仁王門 は現存   大坂夏の陣
1617 朝鮮通信使来島(428名) 宗義成、京都まで案内    
1624 朝鮮通信使来島(300名) 宗義成、江戸まで案内    
1633 幕府巡検使    
1635 柳川一件(重臣柳川調興が国書偽造を告発、家光の親裁により、調興は津軽へ流罪、宗義成は咎めなし)   参勤交代制度
1636 朝鮮通信使来島(475名) 宗義成、江戸まで案内    
1637     島原の乱
1639   幕命により釜山倭館で焼き物 (鎖国)
1643 朝鮮通信使来島(462名) 宗義成、江戸まで案内    
1647 宗家菩提寺万松院を厳原の金石山に移す    
1650   佐須に銀山  
1655 朝鮮通信使来島(488名) 宗義成、江戸まで案内    
1657 宗義真、対馬藩主となる 陶山訥庵 生誕  
1658   朝鮮陶工を招き立亀窯開く→対馬焼  
1659 治水対策、阿須川 開削    
1660 八幡宮の石鳥居 完成    
1661 検地・家臣給与改定    
1663   お船江築造  
1665   国分寺、日吉に移転・金石館拡張  
1667   佐護に金銀山開く  
1668   雨森芳洲 近江で生誕  
1669 府中(厳原)金石屋形に櫓門築門、金石城と命名    
1670   厳原港矢来築堤  
1671 宗氏対馬藩10万石格式 府中に質屋開く  
1672 大船越瀬戸開削    
1675 賀嶋兵介(かしまひょうすけ)、対馬藩領田代(佐賀県鳥栖市)赴任    
1678 桟原屋形(城)完成
釜山に草梁倭館(日本人居留区)完成
(日本と朝鮮の交流・北東アジア物流の中心地)
   
1682 朝鮮通信使来島(475名) 宗義真、江戸まで案内    
1685   桟原(厳原)に藩校小学校開校
(日本で最初の小学校の名称)
 
1689 師木下順庵の推挙で雨森芳洲対馬藩に仕官    
1692   久田村茶屋台に御茶屋  
1700 対馬沖地震 陶山訥庵の猪鹿狩り始まる(9年間) 対馬精密地図「対馬国図」完成(幕命) (生類哀れみ令)
1703 朝鮮国訳官使船鰐浦沖で遭難、対馬人4名含む112名全員死亡    
1708 富士山噴火で禄高問わず上納金    
1711 朝鮮通信使来島(500名) 宗義方(よしみち)、江戸まで案内    
1715   原田三郎右衛門、薩摩に潜入、甘藷を持ち帰る(→ 孝行芋)  
1717   久田村で陶器製造開始  
1719 朝鮮通信使来島(475名) 宗義誠(よしのぶ)、江戸まで案内    
1726   志賀窯開く  
1732 府中大火(焼失家屋1299戸、寺社29) 儒学者 陶山訥庵
(木下順庵門人)
 
1748 朝鮮通信使来島(475名) 宗義如(よしゆき)、江戸まで案内    
1755   儒学者 雨森芳洲
(木下順庵門人)
 
1759 府中大火(焼失家屋1000戸)    
1764 朝鮮通信使来島(472名) 宗義蕃(よししげ)、江戸まで案内    
1793 防備体制強化・遠見番所(幕命)    
1798 異国船出没    
1811 第12回(最終回)朝鮮通信使来島(336名) 宗義功の代行で義質(よしただ)による易地聘礼(エキチヘイレイ)を行う(幕府使者と共に対馬だけでの儀式・接待)    
1813   伊能忠敬測量隊(19名)来島・ 対馬地図絶賛・対馬測量(46日)  
1817 易地聘礼の褒美として義質に二万石地与える    
1844 今屋敷防火壁(各地に防火石垣壁)    
1853     ペリー 浦賀来航
1854   日米和親条約
1857 琴大火(大イチョウ一部焼ける)
     ※ 長松寺にある、樹齢 1100年といわれる日本最古の銀杏
阿須窯開く  
1859 イギリス艦アクテオン号 尾崎浦 に停泊(カルチャーショック)    
1860   半井桃水 生誕 桜田門外の変
1861 ロシア鑑ポサドニック号 尾崎浦芋崎 を半年間占拠    
1862 対馬藩は長州藩と勤皇同盟    
1863 攘夷の勅許下る    
1864 勝井騒動(佐幕派の勝井五八郎が造反) 藩校、日新館 創立  
1867     大政奉還
1868 宗義達(よしあきら)、上京し新政府に朝鮮国交に意見を述べる   明治維新 江戸→東京
1869 版籍奉還に伴い、対馬藩は厳原藩に改称    
1871 廃藩置県で厳原県となり、伊万里県に合併   廃藩置県
1872 厳原県は長崎県に(伊万里県は佐賀県に改称)厳原支庁設置    
1878   厳原中学校(旧制)創立  
1886 厳原支庁を厳原島庁と改める    
1894     日清戦争
1900 日本海軍 万関運河 開通    
1904     日露戦争
1905 バルチック艦隊と対馬沖で激突、翌朝負傷したロシア将兵240人が茂木浜 殿崎 に上陸、手厚く看護する   日本海海戦
1912   厳原に初電灯  
1914     第一次世界大戦
1917   <「島の秋」発行,吉田絃二郎の出世作  
1922   初乗合自動車(厳原〜鶏知)  
1926 対馬島庁を対馬支庁と改称 作家 半井桃水 没(樋口一葉の師)  
1941 全島が要塞   第二次世界大戦
1945 珠丸遭難(機雷に触れ沈没)、犠牲者545人   終戦
1955 町村合併 13 町村 → 9 町村    
1956   2代目万関橋完成  
1964     東京オリンピック
1968   国定公園に指定「壱岐対馬国定公園」→記念切手発行(1970)  
1971 対馬縦貫道完成    
1975 対馬空港 完成  峰村が町制により6町となる    
1977 対馬とグァム島、姉妹島    
1980   厳原中学校跡
公募で「清水ヶ丘(広場)」に
 
1986 対馬と韓国釜山影島区、姉妹島    
1989   対馬〜釜山「あをしを号」就航  
1990     雲仙普賢岳噴火
1995   阪神淡路大震災
1999   対馬〜釜山「シーフラワー号」就航  
2004 対馬市誕生   新潟中越地震
2005 福岡県西方沖地震(M 7.0)、対馬市で震度4 記録    

 

宗家歴代の島主

初代
資国(助国)スケクニ
十三代
  盛長 モリナガ
二五代
  方熙 ミチヒロ
二代
  盛明 モリアキラ
十四代
  将盛 マサモリ
二六代
  義如 ヨシユキ
三代
  盛国 モリクニ
十五代
  晴康 ハルヤス
二七代
  義蕃 ヨシシゲ
四代
  経茂 ツネシゲ
十六代
  義調 ヨシシゲ
二八代
  義暢 ヨシナガ
五代
  澄茂 スミシゲ
十七代
  茂尚 シゲヒサ
二九代
  義功 ヨシカツ
六代
  頼茂 ヨリシゲ
十八代
  義純 ヨシズミ
三十代
  義質 ヨシタダ
七代
  貞茂 サダシゲ
十九代
  義智 ヨシトシ
三一代
  義章 ヨシアヤ
八代
  貞盛 サダモリ
二十代
  義成 ヨシナリ
三二代
  義和 ヨシヨリ
九代
  成職 シゲモト
二一代
  義真 ヨシザネ
三三代
義達(重正)ヨシアキラ
十代
  貞国 サダクニ
二二代
  義倫 ヨシツグ
三四代
  重望 シゲモチ
十一代
  材盛 キモリ
二三代
  義方 ヨシミチ
三五代
  武志 タケユキ
十二代
  義盛 ヨシモリ
二四代
  義誠 ヨシノブ
 
 

 

参考引用文献

・ 新対馬島誌(1964),対馬教職員組合(新対馬島誌編集委員会)

 

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