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対馬の歴史

 対馬の歴史を年表にまとめました。

対馬の歴史年表

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西暦 : 政治・経済・社会/教育・文化・産業

BC6800
  越高遺跡(こしたか) 驪N文土器・矢じり・銛

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BC4000
  佐賀貝塚(さか) 阿高式土器・貝殻・獣や鯨の骨
BC3200
  志多留貝塚(したる) 鐘ヶ崎式土器
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二世紀
  古里 塔ノ首遺跡 石棺群・銅矛・銅釧(かなくしろ)
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297
  魏志倭人伝に対馬名「対馬国」
五世紀
  鶏知高浜(けち) 根曽一号墳 前方後円墳 銅鏃(どうぞく)
七世紀
  厳原下原(しもばる) 矢立山古墳 方墳 横穴式石室
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608
  遣隋使小野妹子 対馬碇泊
632
  遣唐使犬上御田鍬(いぬがみのみたすき) 対馬碇泊
664
  対馬に防人をおき、烽火台8カ所設置
667
  大和朝廷は金田城(かねたのき)「朝鮮式山城」を築き防人を置く:国の特別史跡
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673
  天道法師生誕(太陽の子、母神と子神として祀られる・太陽感精神話)
674
  対馬産出銀(日本初)を朝廷に献上
674
  与良(よら)を国府と定める
701
  対馬産出金(?)を朝廷に献上
720
  日本書紀に対馬名
736
  遣新羅使船が浅茅湾(あそうわん)に停泊し、 多 く の 歌を詠み万葉集に収録される
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741
  島分寺(国分寺)を置く
805
  遣唐使船、最澄ら阿連村(あれ)に着く
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837
  和多都美神(わたつみのかみ)、高御魂神(たかみむすびのかみ)に神位(延喜式神名帳)
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894
  新羅船「新羅の入寇」45艘 対馬を攻撃(寛平6年9月5日)→ 文屋善友が郡司士を率いて撃退
1008
  豆酘寺(つつ)(多久頭魂神社(たくずだま))に鐘が造られる
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1019
  刀伊船「刀伊の入寇」(女真族) 約50艘 対馬 佐須浦 を攻撃(寛仁3年3月27日) 殺人・放火を繰り返す
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1196
  対馬在庁官人 惟宗
1245
  太宰府の命を受け宋氏、豪族阿比留氏を制し対馬統治
1274
  文永の役 元寇・宋助国80余騎、小茂田で玉砕
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1281
  弘安の役 元寇、峰町佐賀(高麗史に日本世界村とある)襲来
1328
  国府八幡宮 再建(1316炎上)
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1345
  宗経茂、対馬島主となる。弟の頼次、仁位の代官
1366
  高麗国王、海寇取締と和交求める、後に通交
1378
  対馬守護代から対馬国守護代となる
1398
  宗貞茂、対馬島主となる
1419
  応永の外寇 朝鮮軍 17,000人、浅茅湾に襲来
1428
  朝鮮通信使来島
1528
  金石城(無天守閣)完成
1591
  清水山城築城
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清水山城 一ノ丸城跡(左)とそこからの眺望(右)

1592
  文禄の役、秀吉出兵
1597
  慶長の役 宗義智、出兵
1598
  秀吉没後、対馬藩兵を引き揚げる
1599
  徳川家康より朝鮮国と国交回復命令
1600
  宋義智(小西マリア:妻・キリシタン)、小西行長(西軍)敗戦(行長,斬首、義智,咎めなし:マリアとは離縁)
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1606
  国書偽造(徳川秀忠、朝鮮国王)
1607
  第1回朝鮮通信使来島(来日:467名)、義智江戸に同行
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1609
  慶長条約(朝鮮貿易復活)
1615
  万松院 建立(義智死亡による菩提寺)、仁王門は現存
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1617
  朝鮮通信使来島(428名) 宗義成、京都まで案内
1624
  朝鮮通信使来島(300名) 宗義成、江戸まで案内
1633
  幕府巡検使
1635
  柳川事件(重臣柳川調興が国書偽造を告発、家光の親裁により、調興は津軽へ流罪、宗義成は咎めなし)
1636
  朝鮮通信使来島(475名) 宗義成、江戸まで案内
1639
  幕命により釜山倭館で焼き物
1643
  朝鮮通信使来島(462名) 宗義成、江戸まで案内
1647
  万松院を厳原の金石山に移す
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1650
  佐須に銀山
1655
  朝鮮通信使来島(488名) 宗義成、江戸まで案内
1657
  陶山訥庵生誕
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1658
  朝鮮陶工を招き立亀窯開く→対馬焼
1659
  阿須川 開削
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1660
  八幡宮の石鳥居 完成
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1661
  検地・家臣給与改定
1663
  お船江築造
1665
  国分寺、日吉に移転・金石館拡張
1667
  佐護に金銀山開く
1668
  雨森芳洲近江で生誕 (近江:現在の滋賀県)
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1669
  金石城の櫓門築門
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1670
  厳原港矢来築堤
1671
  宗氏対馬藩10万石格式
  府中に質屋開く
1672
  大船越瀬戸開削
1675
  賀嶋兵介(かしまひょうすけ)、対馬藩領田代(佐賀県鳥栖市)赴任
1678
  桟原屋形(城)完成
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  釜山に草梁倭館(日本人居留区)完成
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1682
  朝鮮通信使来島(475名) 宗義真、江戸まで案内
1685
  藩校小学校開校(日本初小学校の名称)
1689
  師木下順庵の推挙で雨森芳洲対馬藩に仕官
1692
  久田村茶屋台に御茶屋
1700
  対馬沖地震 陶山訥庵の猪鹿狩始まる(9年間)
  対馬精密地図完成(幕命)
1703
  朝鮮国訳官使船鰐浦沖で遭難
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1708
  富士山噴火で禄高問わず上納金
1711
  朝鮮通信使来島(500名) 宗義方(よしみち)、江戸まで案内
1715
  原田三郎右衛門、薩摩に潜入、甘藷を持ち帰る(→ 孝行芋)
1717
  久田村で陶器製造開始
1719
  朝鮮通信使来島(475名) 宗義誠(よしのぶ)、江戸まで案内
1726
  志賀窯開く
1732
  府中大火(焼失家屋1299戸、寺社29)
  儒学者 陶山訥庵没(木下順庵門人)
1748
  朝鮮通信使来島(475名) 宗義如(よしゆき)、江戸まで案内
1755
  儒学者 雨森芳洲没(木下順庵門人)
1759
  府中大火(焼失家屋1000戸)
1764
  朝鮮通信使来島(472名) 宗義蕃(よししげ)、江戸まで案内
1793
  防備体制強化・遠見番所(幕命)
1811
  第12回(最終回)朝鮮通信使来島(336名) 宗義功(よしかつ)の代行で義質(よしただ)による易地聘礼(えきちへいれい)を行う(幕府使者と共に対馬だけでの儀式・接待)
1813
  伊能忠敬測量隊(19名)来島・ 対馬地図絶賛・対馬測量(46日)
1817
  易地聘礼(えきちへいれい)の褒美として義質に二万石地与える
1844
  今屋敷防火壁(各地に防火石垣壁)
1857
  (きん:上対馬町)大火、大イチョウ(長松寺にある、樹齢 1100年といわれる日本最古の銀杏)一部焼ける
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  阿須窯開く
1859
  イギリス艦アクテオン号尾崎浦 に停泊(カルチャーショック)
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1860
  半井桃水生誕
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1861
  ロシア鑑ポサドニック号尾崎浦芋崎 を半年間占拠
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1862
  対馬藩は長州藩と勤皇同盟
1862
  対馬藩は長州藩と勤皇同盟
1863
  攘夷の勅許下る
1864
  勝井騒動(佐幕派の勝井五八郎が造反)
  藩校、日新館 創立
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1868
  宗義達(よしあきら)、上京し新政府に朝鮮国交に意見を述べる
1869
  版籍奉還により、対馬藩は厳原藩に改称
1871
  廃藩置県で厳原県となり、伊万里県に合併
1872
  厳原県は長崎県に(伊万里県は佐賀県に改称)
1878
  厳原中学校(旧制)創立
1886
  厳原支庁を厳原島庁と改める
1900
  万関運河 開通
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1905
  バルチック艦隊と対馬沖で激突、翌朝負傷したロシア将兵240人が茂木浜 、殿崎 に上陸、手厚く看護する
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1912
  厳原に初電灯
1922
  初乗合自動車(厳原〜鶏知
1926
  作家 半井桃水没(樋口一葉の師)
1941
  全島が要塞化
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1945
  珠丸遭難(機雷接触)、犠牲者545人
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1955
  町村合併 13 町村 → 9 町村
1956
  2代目万関橋完成
1968
  国定公園に指定「壱岐対馬国定公園」→記念切手発行(1970)
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1971
  対馬縦貫道完成
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1975
  対馬空港 完成
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1977
  対馬とグァム島、姉妹島
1980
  厳原中学校跡、公募で「清水ヶ丘(広場)」に
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1986
  対馬と韓国釜山影島区、姉妹島
1989
  対馬〜釜山「あをしを号」就航
1999
  対馬〜釜山「シーフラワー号」就航
2004
  対馬市誕生
2005
  福岡県西方沖地震(M7.0)、対馬市で震度4 記録

information宗家歴代島主

初代 資国(助 国)スケクニ
二代 盛明 モリアキラ
三代 盛国 モリクニ
四代 経茂 ツネシゲ
五代 澄茂 スミシゲ
六代 頼茂 ヨリシゲ
七代 貞茂 サダシゲ
八代 貞盛 サダモリ
九代 成職 シゲモト
十代 貞国 サダクニ
十一代 材盛 キモリ
十二代 義盛 ヨシモリ
十三代 盛長 モリナガ
十四代 将盛 マサモリ
十五代 晴康 ハルヤス
十六代 義調 ヨシシゲ
十七代 茂尚 シゲヒサ
十八代 義純 ヨシズミ
十九代 義智 ヨシトシ
二十代 義成 ヨシナリ
二一代 義真 ヨシザネ
二二代 義倫 ヨシツグ
二三代 義方 ヨシミチ
二四代 義誠 ヨシノブ
二五代 方熙 ミチヒロ
二六代 義如 ヨシユキ
二七代 義蕃 ヨシシゲ
二八代 義暢 ヨシナガ
二九代 義功 ヨシカツ
三十代 義質 ヨシタダ
三一代 義章 ヨシアヤ
三二代 義和 ヨシヨリ
三三代 義達(重正)ヨシアキラ
三四代 重望 シゲモチ
三五代 武志 タケユキ

参考引用文献

万葉集 対馬の歌

新対馬島誌 (1964)
対馬教職員組合 (新対馬島誌編集委員会)
- 他 -

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