厳原中学校第27回卒業生201名は、27年後、21世紀夜明けの再会を誓って、厳原町清水ヶ丘、金石城址(厳原中学校)櫓門跡石垣上にタイムカプセルを埋設しました。それは1974年3月16日、卒業式の日のことでした。
私たちは、夢、希望、心の糧をタイムカプセルに託したのです。思えば当時は、激動の年でした。ベトナム和平の喜びもつかの間、交通戦争、公害問題、石油危機に始まる物不足・・・世の中では、ノストラダムスに代表される末世論が公然とささやかれていました。そんな中で、江崎博士のノーベル賞、小野田さんの帰国は私たちの心を明るくしてくれました。それだけに、私たちのタイムカプセルに対する思いは強いものでした。 その後、金石城櫓門復元工事にともない、厳原町役場の橘氏にタイムカプセル移設を依頼、厳原在住の同窓生の手で櫓門前に移設しました。 |
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カプセル | 水瓶の表面にプラスチックを張ったもの。 |
記 念 物 | 個人の記念物1点、27年後の私を個人が語ったテープ、卒業式完全録音テープ、学級独自品、新聞、週刊誌、ノストラダムスの大予言の本、ブランデー(VSOP)5本、ウイスキー(たぬき)1本、焼酎1本、ワイン1本、他 |
当時の厳原中学校は、金石城址にあり、木造2階建ての古い校舎でした。横に清水の森(清水城址)、後ろに万松院の森(宗家菩提寺:日本三大墓地)に囲まれた文化的教育環境でした。運動場は広く、バレーコートのうえには対馬随一のプールがありました。
パソコンもワープロ、コピー機、電卓もなく、印刷はガリ版、ファクスコピー、謄写版、輪転機でした。テレビ、オーディオ放送設備があり、校内放送、学校放送番組(VTRはオープン式モノクロ)、テレビ集会等に利用されていました。また、ティーチングアナライザーがあり、長崎大学とテレックスで結び、学習効果を分析し、効果を上げていました。
学級数は15クラス、約600人の規模でした。課外活動が盛んで、バレー、バスケット、陸上、剣道、柔道、水泳、体操、野球、吹奏楽、科学、文芸部が活動していました。
その後、厳原中学校は、桟原の対馬高校跡地に新築 移転し、厳中跡地には町立体育館、プール(2015年現在滅失)、 金石城櫓門が新設された。1980年には、名称公募により「清水が丘」(呼称案:内野俊哉)と名付けられ、遠足等各種行事が催され町民の憩いの場所となっている。
当時の厳原中学校全景(金石城趾)
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全校集会
ひびき高し みなぎる潮
ああはてしなき 対馬の海原 見よ船人の たくましき群 いま鴎らも 海幸歌う 波を切り 雄々しく進め つよき船 厳原中学(校) |
もゆる緑 したたる光
ああゆかりある 清水の森陰 見よ有明の 年ふりし峰 いま新しく 夜明けを迎う 色も濃く 朗らかに香れ きよき花 厳原中学(校) |
♪校歌を聴く ( 2014年3月収録 歌:全校生徒+α 伴奏:吹奏楽部 )
【タイムカプセル同窓会前後】 掲示板より一部抜粋
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